
鎌田です。
最近いろいろな人と会っていて面白いです
このブログは、本を見てそこから書いているのでは、なくリアルな声や、経験から書いております。
今回は「見栄」について書いてみたいと思います。以前にも
Contents
車のローンが返せない?
見栄で車を購入した時の落とし穴
に関する記事を書きました。
僕自身もかなりの見栄っ張りでした笑 なので、この見栄との闘い、向き合い方で失敗をしたときのダメージも経験しています
なので、やはりこういう系の記事はシェアすべきだと思ったわけです。
いろいろな人と会う中で見栄に苦しんでいる人も結構いることがわかったので・・
2種類の見栄について
見栄を張るなといわれると人生つまらないじゃないか!となるので、そういうことを言うつもりはありません。
よく見栄を張る人の特徴や思考としては
「今こういう風にしても、自分で鞭うってがんばればいい!」という気持ちでいるとおもいます。
僕自身もそうです。 思考は現実化するので「こんなんでびびって萎縮するわけにはいかない」といって見栄というかしたいことはしていきます。
ということは、いい見栄と悪い見栄というものをしっかり定義する必要があると思い始めて、僕の中では、次のように定義しています。
「いい見栄」→モチベーションがあがる、自分自身の波動、セルフイメージがあがる
「悪い見栄」→人と比べるためや、競うため、インスタ映えのため
これで定義すると、「見栄」という文字を取った際にも、いいのか悪いのかが見えてくると思います。
わるい見栄=病気
たまに、こういう人がいます。
「あいつよりいい車にのってやる」
「あいつよりいいところいいってやる」
そういうことばかり言って、他人のSNSを見て影響をされてお金を使ってしまうタイプの人です。
こういうことをしていくと、どういうことなるかというと・・・想像つきますよね笑
上には上がいるため、例えばロークラスのブランドものを買って見栄を張っていると、次にはハイクラスのブランドをつけている人が気になり、そこの真似をしようと、さらに出費がかさんでいきます。
さらに、見栄というものは、単発ではなく、連なっていきます。
見栄を張ってブランド物で身を覆っていくと、見栄をはれるような飲食店にしか目が行かなくなります。
そうなってくると、一つの見栄が核となり、外へ外へと見栄が広がって、最後は爆発してしまうのです。
いい見栄=モチベーションアップ
人は活動すると、かならず飴と鞭、要するに精神的なプロテインとなるような事柄を取り入れないといけなくなります。
働くための理由付けにもなります。 例えばいい車に乗って、仕事のモチベーションをあげたり、マインドを高めたり、そういう効果も見込めるので、モチベーションアップのための行動は賛成です。
あくまで仕事や生活のモチベーションやマインドをあげるためであることが前提です。
生死を分ける思考の境目
自分の行動が、生きるものになるかどうか?というものは、実は以下の図で可視化することができます。
(本当はもっと字はうまいです笑)
我々の行動は思考→感情→行動という流れで行動をとるので、思考、感情のレベルをどのあたりに置いているかによってとる行動が変わってきます。
なので、極端に言うと、人のSNSとか人の発信している内容に対して
「いいなぁ」とか「負けたくないな」とか思った瞬間に、それは思考に入ります。
普段そういう思考であることはさらに危険です。(潜在意識に入ります)
そうすると、行動は「いいなぁ」と思わせないと・・・というような行動をとってしまいます。
その結果、我々は「自分のしたいことではなく、いいなと思われるかどうか?」だけを意識した行動になってしまい、それが認められたいと、さらなら劣等感にはまり、見栄がさらに膨らんでいきます。
こうなってくるので、この図はとても大事な概念なのです。
精神レベルを自分の方針、理念の間に置かないと、どこまでも流されていきます。
見栄をコントロールする
偉そうに書いていますが、僕自身もタワマンに住んでいた際に、エレベーターの中で自分の階より上の階を押す人がいたら、若干悔しい感情が出ていました。笑
こういうのは、デッドラインの外側に精神がいってしまっていて、この時の感情でとる行動は、ほとんど浪費につながります。
つまり、自分の今の状況をしっかり見て、今より少しだけ成長しようという思考だけを持ち、そこにプラスに働くものだけを周りにおいていけばいいということです。
このことだけが頭にあれば、周りに流されることなく、見栄はコントロールできるということに気が付きます。
つまり、周りに「そんなに見栄をはってー・・」とか言われたとしても、自分の中でデッドラインを超えていないのであれば見栄ではありません。
反対にしたくないことや、他人への意識ばかりしている行動については「ちゃんとしてますね」と周りにいわれたとしてもデッドラインの外側にいる可能性があるということです。
そう考えていくと、自分との対話、脳への理解などを勉強したくなりますよね・・笑
だからマインドフルネスとか、脳の栄養とか勉強する人が出てきて、そういう姿を見て「宗教だ」いう人も現れるということです。
つまり、この世にある様々な思考や考え方、情報は自分のレベル次第でどんなものでも受け取れるわけで、可能性は無限にあるということです。
見栄というテーマからもこのように派生できるように、われわれの勉強は派生していけば果てしなく続くからこそ人生は変化し続け、楽しいわけです。