暗黙知と形式知の違いをわかりやすく例をあげて、簡単に説明します

今回は「暗黙知」について書いてみようと思います。

 

以下のようなことを手短に書いていきますので、気になる項目があれば読んでみてください。

  • 暗黙知とはなにか
  • 形式知という言葉もあります
  • 暗黙知と形式知の違い
  • 暗黙知から形式知へ向かう例
  • 形式知から暗黙知へ向かう例
  • 暗黙知と形式知の一体化

 

経験知を積み上げていきたい方は、詳しいコンテンツとして、「経験知と経験値の認識区別で人間力が増す」というものがありますので、こちらもチェックしてみてくだださい。

「暗黙知」をわかりやすくイメージするために

「暗黙知」のわかりやすい例は、「プールで泳ぐ」というような口では表せない知識です。

どういう風に泳ぐの?と質問されても、うまく答えれないのが特徴です。

 

他には、自転車に乗るような、「乗ればわかるよ」というような知識です。

「形式知」をわかりやすくイメージするために

形式知とは、信号機のように、記号化された知識です。

赤は止まれ、青は進め…とわかりますね。

赤や青は共通認識とされないと事故が起こってしまいます。

 

(補足:信号機の「青」は、よく見ると「緑」ですが、「青」と言われているのも、形式知です。)

 

黄色はもしかしたら人によっては暗黙知かもしれません。

「暗黙知」と「形式知」の違いを一言で

しかし、違いについては、根本的な違いは、ありません。

 

暗黙知と形式知は、一体化しております。

この図のように、「同じ氷」です。

違いを文字にするとしたら、

□水上に出た氷

□水中の氷

という違いです。

「暗黙知」から「形式知」になるパターン

暗黙知と形式知の話とセットになって出てくる話として「SECIモデル」というものがありますが、今回は簡単に書きます。

「SECIモデル」参考:https://www.brains-tech.co.jp/neuron/blog/seci_model/

これは、「過去のトラウマ」のような話に近いかと思います。

例えば、怒られてばかりいると「自分は怒られる人」という暗黙知が出来てしまい、それが形式知となって見える形として表に出ます。

 

すると、なぜかどこに行っても「怒られる人」になるので、このようなトラウマは暗黙知を変えれば、現実は簡単に変わるということになります。

「形式知」から「暗黙知」になるパターン

こちらは、先ほど書いた「自分は怒られる人」という言葉を見て、「あれ?自分はそうかもしれない」など感じた方は危険です。

 

仮に「自分は怒られる人かな」と思う場合は、「期待されからこそ怒られる」「怒られた時ほど、期待に応えるチャンス」「やみくもに怒る人物は自分に自信がないってことがバレたくないだけか・・適度に相手してあげよう」というような言葉で、自己肯定感をあげる言葉で、自分の暗黙知を変えておきましょう!

「暗黙知」と「形式知」の一体化について

先ほど、この図を出しました。

これは氷1つで見たときの話です。

この氷を2つにしてみましょう。

自分より、大きな氷を見かけたときには、必ず水中には水上の氷の大きさに相当な氷があります。

形式知を大きくしたいなら、経験を暗黙知に置き換えて沈めていくことで、大きな氷になっていきます。

 

氷を大きくするためにはどうすればいいか?を考えてみましょう。

 

そのために知りたい情報は、上に出ている氷は、全体の〇%なのか?です。

これは、物理的に計算式がありまして、次のようになります。

参考:

ここから、強引に浮き上がる成果物ができるための行動を考えます。

(1)自分自身を密度の高い環境に入れる(負荷や摩擦が多い場所)

(2)暗黙知に落とし込むところまで取り入れる。

(3)水面上に勝手に氷が出てくる

 

ちなみに、自然現象における氷山の場合、上に浮いている割合は1割程度という計算になるようです。

その1割を見るのではなく、その1割を浮かす要因となっている9割に目線を置く癖をつけるといいでしょう。

 

今の現実から目を背けていいのです。 もっと水中の氷を大きくするためには、「経験知」の蓄積にフォーカスを置いて、どんどんチャレンジしていきましょう!

 

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